菊水堂を訪問しました

  • 2023.04.30

過日、『ポテトチップスと日本人』を読んでくれた菊水堂・岩井菊之(きくじ)社長に呼ばれて本社と工場のある埼玉県の八潮へ。よくこれだけの資料を集めたと褒めていただいたばかりか、「この本はポテトチップス関係書の底本になる」との嬉しい言葉まで頂戴し、サインまで求められました!

菊之社長は、1950年に初の国産ポテチを製造したレジェンド・濱田音四郎氏が存命中に直接会って話した方でもあり。そのとき手帳に書きつけた会話メモを持ってきてくれました。音四郎については情報が少なく、公に閲覧できる資料というものが本当に乏しいんですけど、その会話メモがね、本当にすごい。歴史を発掘ってこういうこと。震えた。すげーよ、インターネットはもちろん大宅文庫にも国会図書館にもない情報ザクザク。

『ポテトチップスと日本人』の執筆にあたって国産ポテトチップス史草創期の状況を調べる際、当時を知る方の「数十年前の記憶」や「先代からの口述伝達」でしか定説の検証ができないケースが結構ありました。メーカーさんに聞いても「社内に資料がない」「不明」という回答だったり。

もう数年もすれば、当時を知る方がどんどん鬼籍に入ってしまうでしょう。カルビーの初代も中興の祖の三代目も、湖池屋の初代も、もうこの世にいない。だからね、今このタイミングで国産ポテトチップス史をまとまった形で編んだのは、結構「ギリギリセーフ」だったと思います。

実際、今日は先代(菊之社長の父)の弟さんも来てくださり、1964年創業当時に工場でどんな作業をしていたかなどを、驚異的な記憶力で説明してくれましたが、彼はもう85歳です。

私は結構本気で、日本のポテトチップス文化を作り上げた先人たちの努力と奮闘は、朝ドラか大河ドラマ(『まんぷく』と『いだてん』のイメージ)になると思っているのですが、今日新たに、当時を知る方の「語り」そのものをドキュメンタリーとして映像に残しておくべきだと感じました。

ドラマ関係者、ドキュメンタリー関係者の皆様、ぜひともご検討ください!